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1989年式
Tyrrell Type 018 Chassis #4 Formula-1
車両の細かな状態は写真毎に説明があります
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「5台のみ製造された89年式ティレル・タイプ018・・・
は、2人の天才エンジニアにより斬新なアイデアが
投入された極めて美しいマシンだった・・・!
1989年ポストシーズン・・・翌年までフェラーリに在籍していた、後世最も偉大なF1エンジニアの一人と謳われる、ハーベイ・ポストレスウェイト博士が、天才カーデザイナー、ジャン・クロード・ミジョーとともに「反ジョン・バーナード体制」でティレルに電撃移籍・・・。ワークスチームと異なり、潤沢とは言えない予算的制約がある中で、二人はそれまで設計したフェラーリの開発モデルをベースに、長年にわたって蓄積してきた様々な空力デザイン・アイデアを開発・・・、それまでも野心的な新技術を積極的に取り入れて来た、チーム・オーナー・ケン・ティレルの元で、それらのアイデアは大きく開花し、移籍直後の89年シーズンに、非常に斬新でクリエイティブな一台のニューマシン、ティレル・タイプ018を投入します・・・。
その後、数々の名車を生み出した、ハーベイ・ポストレスウェイト博士とジャン・クロード・ミジョーのコンビ作の中においても、このティレル・タイプ018は新進気鋭の秀作です。「ベーシックの極み」とも言えるハーベイ渾身の一作に、ジャンの空力マジックが加わった、直近で見ていて息を呑む程美しい・・・抜群に調和の取れたデザインを持つティレル・タイプ018は、ミレニアム以降、フォーミュラーが最新技術の塊と化してしまう、少し以前のレーシングカーの集大成とも言える「究極の美しさ」を秘めています・・・。
それまでのフォーミュラーカー・デザインには存在しない、ティレル・タイプ018の特徴的鋭利なフロントノーズ・・・、翼断面型の左右プッシュロッドを介した先、フロントノーズ内に収まるのは、一本のショックアブソーバーとコイルスプリング・・・。この大胆な発想により、ノーズ形状をペンシル型とした空力デザイン、「モノ・ショック」は、この二人の天才のアイデアで生まれ、初めてこのティレル・タイプ018に導入、その後F1デザインのトレンドになった物です・・・。
70年代のロータス、コーリン・チャップマンの発想から始まった、グラウンド・エフェクト・カーは、フラットボトム規定により80年代初頭禁止になり、当時各コンストラクターが挙って取り入れたのは、リアエンド・ディフューザーでした・・・。
このティレル・タイプ018を直近で見ると、ダイナミックなリアエンド・ディフューザーと、均整が取れた空力ボディの恩恵で、必要なダウンフォースが十分に得られた為か、シンプルなリアウィングが装着。このバランスが、ペンシル状フロントノーズの意匠と非常にマッチして、観る者総てに速さを予感させる美しさを際立たせているのです・・・!
ストレートで最も速いマシンのひとつである
と言われた・・・ティレル・タイプ018
89年当時のF1パドックでは、この流麗なエアロダイナミクスを備えたティレル・タイプ018は、ワークス勢に比べてアンダーパワーのカスタマー・フォード・エンジンを搭載していたにもかかわらず、非常に速かったマシンです・・・!
チーム・ティレルは、1983年のデトロイト・グランプリでミケーレ・アルボレートが優勝して以来、グランプリをリードすることから遠のいていました・・・。
それが・・・
89年シーズンがタイプ018で始まると、開幕当初はノン・スポンサーながら、デビュー戦でジョナサン・パーマーが6位に入賞・・・、そして僅かデビュー3戦目・メキシコGPでミケーレ・アルボレートが3位表彰台に登り・・・、シーズン半ば彗星のごとくF3000からステップアップしてきた、新人ジャン・アレジは、デビュー戦のフランス・グランプリでいきなり4位入賞のドラマを産み出す、大きな結果を残したのです・・・!
歴史と人々の記憶に残った活躍をした彼らの活躍は、その年のチーム・ティレルをコンストラクターズ・ランキング5位にまで昇格させ、ティレル・タイプ018は、当時の規定3.5Lエンジンの中では、ストレートで最も速いマシンのひとつであると言われるまでになりました・・・。
ワークスエンジンと比較すると、コスワース・フォードDFRエンジンは、やはりパワーに非があったのは事実、この空力に非常に優れたティレル018が、その強みを見せつけたのは、パワー差が歴然と勝敗を左右しない、スローコーナーが多用されるサーキットでした・・・。
そしてそのドラマは・・・、ティレル・タイプ018にとって2シーズン目、市街地を閉鎖してコースを作る為、90度直角に曲がる低速コーナーが多い、1990年開幕戦アリゾナ州フェニックスで行われたアメリカ・グランプリで起こります・・・。
前年にスポンサー無し、ブルー1色のティレル・カラーでスタートしたタイプ018は、フランス・グランプリからキャメル・カラー、日本グランプリではスポットでオートバックス・カラー、そして・・・この90年シーズンより、中島悟がロータスから移籍するに伴い、エプソン・PIAA・日本信販が新たにティレルのスポンサーになり、後年、最も美しいと評されるブルーにホワイトが入るボディ・カラーへと変更され、カー・ナンバー3の中島悟、カー・ナンバー4は新進気鋭の新人ジャン・アレジの体制でこの開幕戦に臨みます・・・。
前年の最終日本グランプリで、同じマクラーレン・MP4を駆るチームメイトのアラン・プロストと壮絶なバトルを展開しクラッシュ、フロントノーズを失いながら最終2位に入るも、失格となったアイルトン・セナは、開幕戦であるアメリカ・グランプリで唯一自分の前を走る、パワーの落ちるコスワース・フォードエンジン搭載ティレル018・カー・ナンバー4、新人ジャン・アレジを捕らえます・・・。
一気に詰め寄りオーバー・テイクするも、次のコーナーでジャン・アレジに再度抜かれる王者アイルトン・セナ・・・。王者のプライドが新人ドライバーによって崩壊された瞬間でした・・・。
このF1史に残る劇的なシーンが、後にアイルトン・セナによって懐古される「闘争心に一気に火がついた」瞬間だったのです・・・。
闘争心に火がついたアイルトン・セナは、王者の風格で35周目にジャン・アレジを抜き去りそのままフィニッシュ、ジャン・アレジのティレル・タイプ018は、デビュー11戦目にして、初の2位表彰台の大きな結果を残すと共に、このセナの闘争心に火を付けたファイティング・スピリッツが、一気にジャン・アレジをスターダムへと押し上げ、ティレル・タイプ018を後年語られる名車へと昇華させたのでした・・・。
ティレル・タイプ・018・・・ハーベイ・ポストレスウェイト博士が完全なる信頼を寄せた、細部に至るまでの拘りの凝縮的名車は、70年台のグランドエフェクトカーに次ぎ、ダウンフォース発生の革命と言われた、アンンヘラルド・ウイングを持つティレル・タイプ019を生み出す元となり、その後今日まで各コンストラクターがジャン・クロード・ミジョーのアイデアを追随するハイ・ノーズの流れを創造します・・・。
F1史に残るドラマを生んだこのティレル・タイプ・018・・・、シンプルでバランスの取れたフォーミュラーデザインと、現在でもパーツの供給がある、往年のコスワース・フォードDFRエンジンの組み合わせは、フォーミュラー1が最先端テクノロジーの塊と化す以前のビンテージ・レーシングカーの究極の形であり、欧州を中心に熱心なエンスージアストによって今日復元され、各地のイベントなどでは、今でも大排気量V8エンジン特有のサウンドを響かせているのです・・・。
歴史のサバイバー・・・
ティレル・018 シャーシ#4・・・は日本にあった!
ここで紹介するティレル・018・シャーシナンバー4は、1990年、日本で本格的なF1開催を目的に作られた岡山国際サーキットに、親交のあったティレル・レーシング・オーナー、ケン・ティレル氏との直接の縁によりもたらされたヒストリーがあります。当初は、岡山国際サーキットの特別な会員向けに作られたプログラムで、専門トレーニングを受けた後に、コースをドライブできる特典として利用される予定でしたが、明確な使用履歴は残っていません。その後各地のイベントなどで展示車両として活躍したこのシャーシナンバー4・・・、きっと何処かでご覧になられた方もいらっしゃるかもしれません・・・。
当時5台のみ製造された、30超年前の大変貴重な個体・・・取材時確認いたしましたが、ご責任者様によると、状態の良さからおそらく予備のTカーであっただろうとの事・・・、ボディパーツやシャーシ等、外観からは、傷・割れ無く大変良い状態で現存しているように見受けられましたが、数年間エンジンには火が入っていないとの事、本格的に走らせるのであれば、このようなビンテージ・レーシングカーに必要な、エンジン・ギヤボックスのメンテナンス、足回りのメンテナンスなど必要としています。
英国に根付いたクラシック・カー文化の恩恵で、コスワース・フォードDFRエンジンは、英国コスワース社から現在でもパーツ供給がなされている為、往年の走りを蘇らすには最も有効な選択肢と言えそうです。
また現在ついているタイヤは、スピードラインの13インチ・レーシング・ホイールを除き、安全上の観点から付属いたしません。英国エイボン社から現在でも購入できる、ヒストリック・レーシング・タイヤ等のご利用を検討下さい。
加えて、写真では残っています各スポンサーデカールは、お渡し時には付属いたしません。プライベートの使用等においては、当時の資料などを参考に、往年の姿を彷彿とさせるカラーリング・イメージに仕上がる事などお楽しみ頂けますのでご参考ください。
取材後記
ジェット戦闘機・・・・ロケット・・・そしてフォーミュラー1。
小さい頃から「人生で一度は乗ってみたい・・・!」と、男心に夢描く三大乗り物ではないでしょうか・・・。
聞けば、ジェット戦闘機よりはるかにF1パイロットは狭き門との事、なおさらその思いは募ります。
ご責任者様のご好意で、このティレル・タイプ018のコクピットに座らせて頂く事が出来た筆者でしたが座っただけですが、実に感銘深く感動したのです・・・!
狭いトンネルに足をまっすぐ伸ばす感覚・・・シートに座面は存在しません。路面から5cmの所にヒップポイントがあるだろう低く・・・そしてとてもタイトな空間は、実に居心地良い感動空間だったのです・・・!
ペダル・レイアウトは実に現実的、ロータス・スーパーセブンやヨーロッパのものと変わらない感覚、ウッドでできた6速シフターと、ロック・トゥ・ロック僅か1回転のステアリングは、大いに更なる妄想を膨らませてくれます・・・。メカニカルインジェクションとコイルまで存在する往年のコスワース・フォードエンジンを眺めても、どこか親みを感じる程・・・。
「これを実際に走らせることが出来たなら・・・どんなに素晴らしいことだろう・・・!」
妄想がどんどん膨らみます・・・!まさに夢を昇華してくれる空間だったのです・・・!
ガレージにあるビンテージ・フォーミュラー1と、往年の走りを蘇らせる終わり無き楽しみ・・・は意外と身近なところにあるのかも知れません。
現在このマシンを保有されるのは、レース業界では老舗、著名な法人様です。
もし、このティレル・タイプ018を、プライベートでサーキットなどで走らせてみたいとの事でしたら
マシンのメンテナンス・サーキットの貸し切り含めてまだ見ぬ新オーナー様へ、様々なサポートが可能との事です。
ヒストリックなフォーミュラー1を、夜な夜な眺めて思いに耽り、週末にサーキットに持ち込み走らせる・・・。
このようなヒストリックレーシングカー文化が日本でも広がる様に・・・との大きな願いを込めて
ご紹介させて頂きました・・・。
是非、「夢の実現」の見学へお越し下さい・・・。
▲このとても素晴らしい「1989年式 TYRELL TYPE 018 Formula-1 Car Chassis #4」は現在、静岡県にあります。
本車両は、法人様からの出品依頼ですので、表示価格は消費税込み価格となっています。
現地にて、現状渡し条件である事ご了解下さい。
前提として陸送等は、購入者様の方でご手配をお願いいたしますが、専門輸送車がありますのでご希望がありましたら是非ご相談ください。また、移動用タイヤが付属しますので、積載など十分に可能です。お気軽にお問い合わせください。
【お問い合わせに際して・・・】
このページの車両は、ヒストリック・カー、コレクタブル・カーの越境ECサイト、「エステートセール®︎スプレマシー」に掲載されたものです。
至高・最高(スプレマシー)なエステートセール・・・とは、
エステートセール®︎スプレマシーは、オーナー様の想いのこもったお車を、インタビューに基づく原稿作成でご紹介し、物・心を整理する、北米文化エステートセールの日本版です。
文化も、次の世代への引き継ぎも、何も残らない、二束三文・安値買取とは全く異なり、オーナー様の想いを実直に表現、思い出は、心にしっかり残しながらも、確実に次の世代に引き継ぐ、ご案内・仲介をいたします。
本記事内容は、2021年8月24日午前10時より、約4時間の取材時間の中で、オーナー様へのインタビューと、頂いた資料、接触体験したものを元に、執筆作成したものです。
非常に限られた時間内での確認につき、状態を100%正確に記載しているとは限らない場合があります事ご承知おき下さい。
また執筆内容に関しては、念入りな海外・国内リサーチを含めて、オリジナルの原稿を執筆しておりますが、現地に赴くなど、裏づけを全て取ってはおりません。 状態等のコメントも、あくまで取材時の天候、状況及び、筆者の主観によるものという事ご承知おき下さい。
掲載車両に関してのご質問や、現車確認のお申込は、このページの一番下よりご連絡下さい。
尚、法人内ご担当者様との取引となりますので、現車確認はあくまで「購入を前提」として検討されているお客様のみとさせて頂きます。
何卒宜しくご検討下さい。