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1942-45年式
FORD GPW (車検証上 ジープ・型式CJ3BJ31)
車両の細かな状態は写真毎に説明があります
上部スライドには、車両の魅力的な写真が50枚ございます
写真をクリックして説明と共にご覧ください
「これはまさに自動車史のみならず歴史的遺産・・・!
現オーナー様の元で50年動体保管管理されてこられた朝鮮戦争退役米軍車両フォードGPWは、
車検証上三菱J3として国内で生き残って来た・・・?!
博物館クラスのレア車両登場に興奮MAX・・・!!」
「私の手元で50年かけ、様々な苦労をしながらコツコツ仕上げてきたジープがあります・・・」
と連絡を受け、今回取材させて頂いた車両は、枯れたオリーブドラブが醸し出す“本物ミリタリー車”の雰囲気が最高に素晴らしく、一見して「これは只者では無い・・・!」と感じるオーラを周囲に振り撒きながらオーナー様のガレージの中に佇んでいました・・・。
今回ご紹介するのは、オーナー様によると朝鮮戦争(1950〜1953)を退役して当時日本に持ち込まれた米軍車両との事です・・・。
車検証上では形式CJ3BJ31、車体番号55CJ3BH05016と明らかに1953年・昭和28年頃の三菱J3の系譜が確認出来る内容になっているものの、国内ジープ史極初期にノックダウン生産された“J3”とは全く異なる顔付きや外観と、明確に確認できるフォードのコーションプレート類が筆者の目を惹きます・・・。
ご存じの様にウイリス・オーバーランド社は、朝鮮戦争の際にすでに民間車両であったCJ-3Aを改良してM38軍用ジープの生産を復活させましたが、これはワンピース・フロントガラス、大型ヘッドライト等が特徴で、今回の車両よりもずっと近代的な仕様です・・・。
ということは・・・?
から始まった今回の歴史的謎解き・・・。明確なことは、このクルマを50年かけてコツコツと良い状態まで仕上げてこられた事実以外、オーナー様含めて誰にもわかりません・・・。
ただ間違いなく・・・“この個体”は動乱の歴史の中で生き抜いてきたサバイバーであり、自動車史・歴史的遺産として残して行かなくてはならない一台であると言う事なのです・・・。
「ジープの語源となった“GP”、そして軍用車製造ライセンスを
持っていたウイリス社の“W”の頭文字・・・“フォードGPW”は
第二次世界大戦時にのみ製造された車両だった・・・」
1942年から1945年まで生産されたフォードGPW(通称ジープ・正式名称は米軍トラック・1/4トン・4×4)はウィリスMBと共に、第二次世界大戦中に製造され実戦投入された軍用車両です・・・。 「ジープ」という通称には諸説ありますが、一般的にこの車両のイニシャルであるGP(ジープ)に由来すると言われています・・・。
1937年、アメリカ陸軍は国内の自動車メーカーに、軍隊に機動性を持たせる目的の新車両の仕様を公募します・・・。1940年7月11日正式に仕様の決まった内容を米国の自動車メーカー135社に提出し、最終的にアメリカン・バンタム・カー社とウィリス・オーバーランド社、そしてフォード社の3社がこのコンペに参加、長期間の開発・テストを経てウィリス社が生産契約を獲得するに至りました・・・。
ところが 1941年10月になると、ウィリス1社のみではアメリカ陸軍の要望する台数まで生産が追いつかないことが明らかになり、フォード社も生産を請け負う事に・・・。その結果、製造ライセンスを取得したウイリス社の「W」を車名に入れ、フォードが生産する米国軍用新型車両は「フォードGPW」となり、第二次世界大戦中ウィリスMBは36万3千台、フォードは28万台ほど“米国軍用車両ジープ”を生産するに至ったのです・・・。
およそ時速100kmで荒地を巡航・・・、50cmの深さの川を渡り、最大60度の坂を登る驚異的な機動能力を持ち、赤外線暗視用投光器や夜間管制灯など、戦闘中に航空機から車両が発見されない様にしながら味方との車間や位置を把握する為のブラックアウト・ライトシステム・・・、トレーラーライト、スパークプラグ干渉抑制、シールドスプリングシャックルなどを標準仕様として持つウィリスMBやフォードGPWは、ありとあらゆる状況においてその威力は絶大である事を示したのです・・・。
米軍は陸軍のみならず全ての軍でこのジープを採用・・・、中でも陸軍の歩兵連隊には平均145台が供給され、ヨーロッパ戦線のドイツ兵などからは「米軍では一人一台ジープが支給されている・・・」と囁かれた程です・・・。
ジープは部隊の輸送、偵察任務、銃火器の牽引、ケーブル敷設、森林の伐採、消火ポンプ、野戦救急車、トラクターとしての利用、補給用トレーラーの牽引、水や燃料、弾薬の運搬、などありとあらゆる任務を万能にこなし、ジープの平らなボンネットは司令官の地図テーブル、日曜日には牧師の野外での祭壇、兵士のポーカーテーブル、さらには野外手術台など、想像できる全ての事に使われたのです・・・。
「第二次世界大戦期27万7896台生産された“フォードGPW”・・・それらがウイリスMBやM38とともに朝鮮戦争でも
使用されていた・・・。」
朝鮮戦争時のジープは、大型化したヘッドライトを持つ約6万台のウイリスM38を除き、その殆どが第二次世界大戦時に製造されたフォードGPWやウイリスMBでした・・・。
大戦時に世界中の紛争に持ち込まれ、その威力を発揮したジープは、不運にも朝鮮戦争が勃発した際にも、軍事的に欠くことのできない存在だったのです・・・。
朝鮮戦争に参戦していた中国の1950年の戦略的撤退は、アメリカを主体とする国連軍のジープが主導したと言われています・・・。戦闘が北朝鮮と韓国の分水嶺である38度線まで移ったため、朝鮮戦争においてのジープは昼夜問わず敵機を監視し、空爆を支援する最前線のポジションが与えられました・・・。また当時の朝鮮半島は、北朝鮮の独裁政権から逃れた難民であふれかえっていたため、混雑した街中で軍人が移動する道路や街中に朝鮮戦争用のジープが溢れかえったのです・・・。
また1950年、当時の米国政府は朝鮮戦争に必要なジープの生産と車両のメンテナンスの為、その補給基地として日本を選び、ウイリス社の極東地域担当者が来日して、日本国内でのノックダウン生産を開始すべく提携先自動車メーカーの検討を始めていました。米日政府の協議の結果それを受注したのは当時の中日本重工業(後の三菱重工業)となり、1953年には現地ノックダウン生産によるジープ1号機(三菱J1)が完成、その後2001年に販売が終了するまで、国産ジープ生産の非常に大きな足がかりとなったのです・・・。
「朝鮮戦争時、“なんだかの理由”で日本に持ち込まれた
1942〜45年のフォードGPWは書類上形式CJ3BJ31となり、
紆余曲折を経て50年前に現オーナー様の元へ・・・」
車検証に記載された初年度登録は朝鮮戦争一時収束から2年後の昭和30年・・・となっています・・・。オーナー様のお話しでは、このフォードGPWは退役後に群馬県の営林局に払い下げられ、保安部品無し、ナンバー無しで使われていたものが、同じ群馬県内の自動車会社に売却された物との事です・・・。
昭和50年・・・ジープに対する憧れを胸いっぱいに想い焦がれていた当時20代若き日のオーナー様・・・、その店をご友人と訪れ、店の敷地内で床が抜け、下から草が生え、タイヤが半分泥に埋まっていた状態で売られていたものを、そのご友人と一緒に購入なさったとの事です・・・!
現在所有歴50年・・・
“凄い事”だと思います・・・。
その間の苦労(楽しみ)話しなど、到底この原稿に書き切れるものではありません・・・!
中でも想い出に残っておられるのは・・・とお聞きすると・・・
デフからのホーシングのスプラインが舐めてしまい、新しいものを特別に作って試したところ、3秒でダメになったり・・・。
とうとう朽ちてしまったボディを載せ替える為、横須賀へ出向き、同じフォードGPWのボディを購入、ビス7本で簡単に交換できるよ・・・とのことだったがとても容易ではなかったとの事、ご友人と散々苦労してやっと載せ替えなさったり・・・。
10年程前には白煙を出すようになったとの事、エンジン降ろしてタペットなどを加工して生還させた事だったり・・・。
ブレーキの効きがちょっと弱かったのでマスターシリンダー(MBのもの)を新品で交換、現在は不具合なく乗れる車であり、半年前に車検が切れるまでは、ご家族を乗せて普段の移動で使ったり、想い出作りに様々な場所に出かけたりと“普通”に乗っておられたとの事でした・・・。
取材時もたまたま通りかかった近所のご老人から「まだ持っているんかい・・・」と声を掛けられたオーナー様・・・。この車と共に半世紀・・・流石に最近は滅法乗れなくなってしまったので「次の大切にしてくれる方に、想いも含めて譲りたい・・・」とのお考えでおられ、この度の掲載となりました・・・。
オーナー様の青年期からの人生の相棒・・・
「近所のお医者様が乗っていた、トヨペットコロナの排気ガスの匂いが好きで、いつも嗅ぎに行っていたなぁ・・・」と懐かしそうに笑顔でお話しいただくオーナー様・・・。
当時は舗装道路など無く、自動車に乗るのが立派な冒険だった国内自動車事情の黎明期・・・。
どのような経緯で“CJ3BJ31”の型式が車検証についたのかは誰にもわかりません・・・。
このヒストリーの謎解き含めて貴重な車両の引き継ぎをご提案するのが今回のプロジェクトです。
是非動画でもご確認ください・・・。しっかり動体管理され、オーナー様の手慣れた操作で元気に走る歴史遺産的車両ですが、博物館行きではこの車が可哀想かもしれません・・・。
是非“歴史遺産的オーラ全開・・・!”で乗って楽しんでもらえれば、クルマとしての価値を全うし、近代世界史を語る生き証人として、現在ファッショナブルに街中を往来する4WD車の原点はここにあったのだと大勢の方にその存在意義を知って貰えるのではと思います・・・。
当時物のシャベルは写真の様に付属します
写真にはありませんが・・・
アックス(斧)・ボディカバー・ビキニトップが別途付属いたします。
「ご希望なされば別途費用になりますが、今までの経験がありますので普通に車検を取得してお渡しいただく事もできますよ・・・。」
経験が成し得るお言葉に、流石50年の所有歴・・・と思う今回の取材だったのです・・・。
「取材後記・・・」
今回“WW-II〜Korean War”含み海外文献など徹底してリサーチし知り得た事ですが、1945年に第二次世界大戦が終結した後、アメリカは他国に渡った何千台ものウィリスMBやフォードGPWの残りを処理する必要があり、その多くは余剰車として売却されたり、民間用として他国にそのまま残されたり、あるいは単に大西洋や太平洋に船上から投棄したそうです・・・。
今回ご紹介したフォードGPWは特徴的に車体の外側ではなく、運転席の下に給油口があります、これは当時米兵に喫煙が流行っていたための安全策だったとか・・・、それでも軍用・民間のジープを見分けるのに役立ちそうな情報でした・・・。
また夜間の修理が必要な場合、ヘッドライトを反転させてエンジンを照らすことができるようになっていたと言うのもとても興味深い事実です・・・。
それ以外にも第二次大戦期のジープのデザイン上の特徴、リアの角が丸く加工されている事、ぬかるみから手動で脱出するための外装ハンドルがある事、幌の高さを上げて前席乗員の頭に当たらないように2つの幌骨がある事など・・・。自動車史のみならず歴史的史実に触れられたのは、このクルマを50年動体管理されてこられたオーナー様に改めて感謝申しあげる心持ちです・・・。
「これはまさに自動車史のみならず歴史的遺産・・・!現オーナー様の元で50年動体保管管理されてこられた朝鮮戦争退役米軍車両“フォードGPW”は、三菱J3として国内で生き残って来た・・・!レア中のレア車両登場に興奮MAX・・・!」
「50年間の苦労話」を楽しく聞ける、極上の見学に是非群馬県までお越しください・・・。
▲このとても貴重な「1942-45年式 FORD GPW (車検証上・旧三菱重工業製J3(CJ3BJ31)」は現在、群馬県にあります。
個人間売買のため、消費税や諸費用等はかかりません。
群馬ナンバー登録可能エリア内であれば現在のナンバー引き継ぎ可能です。
車検は令和3年7月までありましたが、現在は切れております。継続車検相談可能ですのでご希望お知らせください。
車検が切れておりますので自動車税の月割精算はありません。またリサイクル預託金もありません事お伝えいたします。
陸送等は購入者様の方でご手配をお願いいたしますが、筆者の業務でも、クラシックカー輸送業務を取り行っております。ご希望がありましたら是非ご相談ください。
【お問い合わせに際して・・・】
このページの車両は、クラシックカー・コレクタブルかーの越境ECサイト、「エステートセール®︎スプレマシー」に掲載されたものです。
至高・最高(スプレマシー)なエステートセール・・・とは?!
エステートセール®︎スプレマシーは、オーナー様の想いのこもったお車を、インタビューに基づく原稿作成でご紹介し、物・心を整理する北米文化エステートセールの日本版です。
文化も・・・次の世代への引き継ぎも・・・何も残らない二束三文・安値買取とは全く異なり、オーナー様の想いを実直に表現、思い出は心にしっかり残しながらも確実に次の世代に引き継ぐご案内・仲介をいたします。
本記事内容は2021年2月5日午前9時より約3時間の取材時間の中で、オーナー様へのインタビューと頂いた資料、また試乗体験したものを元に執筆作成したものです。
限られた時間内での確認につき、状態を100%正確に記載しているとは限らない場合があります事ご承知おき下さい。
また執筆内容に関しては、念入りな海外・国内リサーチを含めてオリジナルの原稿を執筆しておりますが、現地に赴くなどの裏づけを全て取ってはおりません。状態等のコメントもあくまで取材時の天候・状況及び筆者の主観によるものという事ご承知おき下さい。
掲載車両に関してのご質問や現車確認のお申込は、このページの一番下よりご連絡下さい。
尚、現車確認はあくまで「購入を前提」として検討されているお客様のみとさせて頂きます。
何卒宜しくご検討下さい。