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1951年式
アストンマーティン DB2 ヴァンテージ
↑↑↑上記アーカイブ動画、是非音声ありでご覧ください・・・。
英国撃墜王が愛したDB2ヴァンテージが日本に存在した・・・!
オールマッチング確認済み、1950年代当時のファクトリー
サービスレコードまで付属する、ヒストリーが明確な1951年式
アストンマーチンDB2ヴァンテージは迫力満載のオーラで
観るものを圧倒する・・・!
夏の眩しい光を浴びて、シックなアーモンドグリーンの車体がまるで玉蟲の羽のように刻々と表情を変える・・・。
見えない空気の流れを人間が直感で感じ取り、手書きでデザインされた造形を職人が手作りで叩き出し、一台ごと架装されたボディはそれこそが実に味わい深いアートそのもの・・・。
ただただ美しいと右脳で感じるそのヒストリック・カーの中身は、DOHCエンジンや独立懸架サスペンションなど、当時ル・マンで勝利する為の最先端の技術が惜しげもなく投入され、その結果生み出されるその圧巻の走りは、製造よりすでに四分の三世紀経過していることさえすっかり忘れさせるくらい現代的かつ衝撃的・・・。
この目の前のLML/50/65・アストンマーチンDB2ヴァンテージの存在そのものが、背景にある明確なヒストリーを大きく際立たせ、年月を経て大切に継承されていくほどに、ヒストリー・テラーとしての稀有な価値観をさらに豊潤なものへと昇華させていくのです・・・。
第一章
英国撃墜王 サー・マックス・エイトケンが愛した一台・・・!
アストンマーチンの新時代を切り拓いたDB2ヴァンテージ、
その最初期を生きたLML/50/65・・・。
このDB2という一台を深く紐解いていくと、その美しい造形も、驚くほど力強い走りも、決して偶然に生まれたものではないことが見えてきます・・・。
そこには戦前よりモータースポーツを活動の中心に据えてきたアストンマーチンの思想と、第二次世界大戦の航空機開発からリ・エンジニアリングされ積み重ねられた技術、そして戦後の新たな時代に世界最高峰のスポーツカーを造ろうとした人々の強烈な意志と熱意が凝縮されていました・・・。
アストンマーチンというメーカーは、その創業時からまさにレースフィールドと切り離すことのできない存在です・・・。
1913年の創業以来、アストンマーチンはその名の由来となったアストン・ヒルクライムでの活躍を皮切りに、ツインカム・エンジンを用いたグランプリへの挑戦、そしてル・マン24時間レースへと、常に「競争すること」を開発の中心に置いてきました・・・。
速く走るためにクルマを造り、壊れれば原因を探り、そして次の一台へと技術を還元する・・・。
現在でこそ当たり前に聞こえるこの開発手順を、まだ自動車そのものが発展途上であった時代から先駆けて繰り返し実践してきたメーカーだったのです・・・。
そのアストンマーチンにとって大きな転換点となったのが第二次世界大戦後の1947年・・・。
英国の実業家であり、自身も優れたエンジニアとして知られたデビッド・ブラウン氏が老舗アストン・マーチンを買収し、さらに同じ年、もうひとつの英国名門メーカーであったラゴンダを自らの傘下に収めます・・・。
アストンマーチンがそれまで培ってきた、軽量かつ高剛性なシャシーとモータースポーツで鍛え上げられた車造りへの姿勢・・・。
そこへラゴンダから持ち込まれたのが、かつてベントレーを率いたW.O.ベントレーの指導のもと、ウィリアム・ワトソンによって設計された2.6リッター直列6気筒ツインカム・エンジンでした・・・。
この直列6気筒ツイン・オーバーヘッド・カムシャフト・エンジン・・・。
現代の感覚では聞き慣れたエンジン型式に聞こえますが、まだ戦争が終わって僅か数年という時代に、量産スポーツカーへこのようなエンジンを搭載しようと考えたこと自体が、いかに野心的であったか・・・!
デビッド・ブラウン氏の壮大なビジョンは、この新しいアストンマーチンを単なる高級車メーカーとして再出発することではなく、その比類なき性能を持つスポーツカーを世に送ること・・・。そしてそれを証明する場所として再び選んだのは、やはりレースフィールドだったのです・・・!
デビッド・ブラウン氏がまさにチャレンジ・ステージとして選んだのが、第二次世界大戦による9年間の中断を経て復活した1949年6月のル・マン24時間レース・・・。
このレースへ出場するため、アストンマーチンは後のDB2へと直結する3台のプロトタイプを製作し挑みます・・・。
その初陣で1台は見事総合7位で完走・・・!まだ市販モデルとして世に出る以前から、DB2の原型は世界最高峰の耐久レースという極限の舞台で、その速さと耐久性をいきなり実戦で証明して見せたのです・・・。
さてここで改めて、目の前の1951年式アストンマーチンDB2ヴァンテージを眺めてみてください・・・。
レースで要求される高速安定性と空力性能を最優先に考え、当時の英国スポーツカーではまだオープンボディが主流だった中で、最先端の流線型クローズドボディを見事に持ちます・・・。
その美しい造形を手掛けた人物が、元ラゴンダのデザイナーであるフランク・フィーリー氏・・・。
独立したように見える左右のダイナミックなフロントフェンダーから、一気に切り込まれていく中央の低いノーズ・・・。リアへの空気の流れが見えるような、見事な曲線で絞り込まれていくなだらかなルーフ形状・・・。そしてボリューム感いっぱいにギュッと絞り込まれていくリアエンドのデザイン・・・。
そうです・・・!まっすぐの線がひとつとして見当たらない曲線のつながりが実に見事なもの・・・。
1950年代、見えない空気の流れを想像して手書きで書かれたデザインを、職人が一台一台手で叩き出した造形・・・。
少しでも空気を乱さず、少しでも速く、そして長時間安定して走り続けるために、人間が風の流れを想像しながら描いた、まるで有機物のように素晴らしく美しい造形なのです・・・。
フロントフェンダーからボンネットまでを一体とした巨大なカウルが丸ごと前方へ開く構造も、レースシーンで戦うためのレーシングカーそのもの・・・。
エンジン、フロントサスペンション、ステアリング機構へ一気にアクセスできるこの構造は、後に登場するジャガーCタイプよりも早い時期に採用されていました・・・。
この1949年のル・マンで得られた経験を基に、デビッド・ブラウン氏の熱意で市販モデルとして完成されたのがこのアストン・マーチンDB2・・・。
1950年4月に正式発表されたDB2は、伝統あるフェルサム工場で生産されました・・・。
第二次世界大戦で大きく飛躍した航空機技術を採用したアルミニウム製ボディでしたが、このアルミニウムのボディパネルは、職人がハンマーを握り、一枚の金属板から曲面を起こし、それぞれの車体へ合わせながら一台ずつ仕上げていく・・・。
まさにコーチビルドそのものとして生み出されたのです・・・。
1950年5月から1953年4月までの約3年間に造られたDB2は、全ボディタイプを合わせてもその生産台数僅か411台・・・。
その生産ペースは週に僅か2~3台で、そのうちサルーンは308台しかありません・・・。
手作りのカスタムメイドとして作られる、その美しい手作りのボディの下には、このクルマを味わう最高の醍醐味である、ル・マンで開発された当時の最先端技術が宿るのです・・・。
ラゴンダ・・・つまりはベントレー由来の2,580cc直列6気筒ツインカムエンジン・・・。角断面鋼管を用いた強靭なシャシー・・・。そしてフロントには独立懸架サスペンションを採用し、4速マニュアルトランスミッションを介して後輪を駆動する・・・。
一見優雅に見える最先端の空力ボディの中身は、明らかにレースシーンを走るために造られたクルマだったのです・・・。
そしてDB2には、さらにその上を行く高性能仕様が存在しました・・・。
それがヴァンテージ・・・。
標準仕様のエンジンが105馬力であったのに対し、高圧縮化されたヴァンテージ仕様のLB6V型エンジンはSU製ツインキャブレターを伴い125馬力/5,000回転を発生・・・。
しかも一般には低オクタン燃料しか容易に入手できなかった戦後の英国で、20%も出力をあげた高圧縮比のヴァンテージ・エンジンは、明らかにレーシングカーとしての特別な仕様だったのです・・・。
そして、そのDB2ヴァンテージがまだ量産を開始して間もない1951年・・・。
フェルサム工場から職人の手で送り出された一台が、今回の主役となるシャシーナンバー LML/50/65・・・、量産開始から僅か50台余りという最初期に位置する本国英国向け右ハンドル車です・・・。
添付資料にもあるように、アストンマーチン・ヘリテージ・トラストに残されたファクトリー・レコードには・・・、
シャシーナンバー LML/50/65
エンジンナンバー LB6V/50/505
ギアボックスナンバー DBCC/50/311
ボディナンバー 68037A
と、その出生が明確に記録されており、現在車体から確認できる各ナンバーを照合してみても、当時のまま継承されてきたマッチングナンバーのオリジナル個体であることが確認できます・・・。
そして巻末添付のアストンマーチンオーナーズクラブの資料・・・。
89ページの最後に記載されているLML/50/65に記載されている事実・・・。
この記録を読み進めていった時、LML/50/65という一台は、稀有な初期型DB2ヴァンテージから、全く別次元のヒストリックカーへと変えてしまう名前が確認できます・・・。
初代オーナー・ホン・マックス・エイトケンDSO、DFC・・・。
DSO(Distinguished Service Order/殊功勲章)、DFC(Distinguished Flying Cross/殊勲飛行十字章)を受章した英国空軍の撃墜王、後にサー・マックス・エイトケンとして知られる人物です・・・。
1910年、カナダ・モントリオールに生まれ、幼少期より英国で育った彼は、第二次世界大戦では英国空軍の戦闘機パイロットとしてバトル・オブ・ブリテンを戦い、これらの勲章を受章した撃墜王として知られる人物です・・・。
戦後は国会議員、そして新聞経営者として活躍し、1965年にはナイトに叙せられた英国紳士ですが、しかしこの車のヒストリーを考えるうえで非常に興味深いのは、彼が単なる著名人ではなく、筋金入りのアストンマーチン愛好家だったことでしょう・・・。
第二次世界大戦が終わり、アストンマーチンが新しい時代へ踏み出したその瞬間に、自らも究極のスピードを知り尽くした男が選んだ一台は、やはりアストンマーチンだったのです・・・。
さらに面白いのが、このLML/50/65の生産番号のひとつ前、ひとつ後へ辿ると、ここにも濃密な背景が浮かび上がります・・・。
ひとつ前の個体LML/50/64は、1951年ル・マンのワークス・リザーブカー・・・。
そしてひとつ後の個体LML/50/66は、後に世界最高峰のレーシングドライバーとなるフィル・ヒル氏が新車で購入した個体・・・。
レースカーとロードカーが明確に分けられていなかった時代・・・。
ル・マンで戦うための技術を、そのまま富裕なエンスージアストへダイレクトで届けていた豊潤な時代・・・。
その最中で、英国撃墜王サー・マックス・エイトケンの手に渡ったDB2ヴァンテージ・・・。
その一台を75年という時間を越え、今あなたは、目の前で観ているのです・・・。
第二章
現在も残る当時のファクトリーサービスレコード、そして「MGO 404」
が物語る事実・・・!英国から日本へ、75年以上にわたり
受け継がれてきた驚くほど明確なヒストリー・・・。
1951年、英国本国向けのDB2ヴァンテージとしてフェルサム工場から送り出されたLML/50/65には、「MGO 404」という英国登録番号が与えられました・・・。
このMGO 404は、その後に残された写真、アストンマーチン・オーナーズクラブの記録、後年の書籍にも繰り返し姿を現し、70年以上という時間の中でLML/50/65の歩みを追うための大切なアイデンティティとして残されていきます・・・。
そして、この一台のヒストリーを深く紐解くうえで極めて大きな意味を持つのが、現在も残されている1950年代当時のアストンマーチン・ファクトリーサービスレコードです・・・。
最初に確認できるのは1953年5月4日、走行距離15,944マイル。
1951年の製造から僅か2年ほどで約16,000マイルを走っていたことになり、当時最新鋭のDB2ヴァンテージをサー・マックス・エイトケン氏が実際に積極的に走らせていた姿が、この数字からすでに浮かび上がってきます・・・。
その日の記録には、ブレーキの鳴きの修正、フロントグリルにある始動用ハンドルカバーの修正、シガーライター交換、リアフラップ・サポートブラケットの締め付け、左側ベンチレーター付近から発生していたガタつきの修正まで克明に残されています・・・。
さらに同年5月4日から22日にかけて、リペアナンバーR.3474として、プュロレーター製オイルフィルターの装着、フロントブレーキ冷却用エアスクープの追加、ブレーキのエア抜きと調整、リアバンパーモールディングのクリアランス調整、リア側のガタつき修正、センターシートのフィッティングを1インチ高くする加工、ロードテスト、最終調整、ブレーキプッシュロッドの改造まで行われています・・・。
その記録の中に残された「オーナー供給のホイールディスクを装着」という一行も、LML/50/65の個体史を非常に濃いものにしています。
新車時のファクトリーレコードには、エース製ホイールディスクをオーナー自身が供給したことまで正式に記載されており、1951年の製造記録と1953年のサービスレコードという異なる二つの資料が、この特殊な装備を同じ一台の上で結び付けています・・・。
1953年6月23日から7月16日のR.3647では、オーナーが用意したエイボン製タイヤ5本を装着し、ロードホイールをバランス調整。記録された走行距離は17,829マイル。
続く7月から8月にはアンダーシャシーとサスペンションのテストが行われ、7月20日から8月14日のR.3742では走行19,168マイル、アクスルから発生していた異音の修正とブレーキバランスの調整が記されています・・・。
同年11月16日から12月7日のR.4075では、作業はエンジン内部へと及びます。
エンジン内部とバルブ周辺のカーボン除去、エンジン調整、シリンダーヘッドのモディファイを行い、エンジンをシャシーへ再搭載・・・。
コンタクトポイントの交換、ブリーザーパイプへのクリップ装着、ギアボックスのオイル漏れ修正、左右ドアへのウィドニー製バッファー装着まで記録されています。
70年以上前にアストンマーチンのメカニックがLML/50/65のエンジンを降ろし、ヘッドへ手を入れ、再びシャシーへ搭載して調整を行った内容が、現在もそのまま読める状態で残されているのです。
1955年5月23日、R.5883、走行距離38,223マイル。
ライナーシール、コンロッド一式、メインベアリング、ビッグエンドの鉛青銅ベアリング一式を交換し、エンジン内部のカーボン除去と調整、エンジンオイル交換まで行われています。
製造から約4年で38,000マイルを超える走行距離・・・。
ル・マンで培われた高性能を持つグランドツアラーとして、このDB2が当時の英国の道路を存分に走っていた時間が、このサービス・レコードの数字そのものに刻まれています・・・。
1960年3月30日、R.2745。
この時のファクトリーサービスはさらに広範囲に及びます。
エンジン内部のカーボン除去、インレットバルブガイドとインサートの交換、バルブとバルブシートの修正、タペットクリアランス調整、スパークプラグ、コンタクトポイント、ディストリビューターの調整、バルブタイミングの再設定、ガソリンフィルターとキャブレターの清掃、エンジンチューニング。
さらにフライホイール、ベルハウジング、クラッチセンタープレート、クラッチまわりのオイルシールとスラストアッセンブリー、プロペラシャフト、ブレーキ、ステアリングボックスにまで整備が及んでいます・・・。
その僅か3週間後となる1960年4月20日のR.2809では、タイミングチェーン一式と2個のチェーンテンショナーを交換し、バルブタイミングと点火時期を再設定、タイミングケースのオイルシール、ウォーターポンプシール、インペラー・スラストパッド、両カムシャフトのオイルシールまで交換されています・・・。
そこから資料の時間は大きく進み、1994年。
LML/50/65はロンドンのコイズ・オークションへ出品され、翌年、そして1995年にはアストンマーチン・オーナーズクラブのコンクールへ参加し、この個体のヒストリーに素晴らしく残る受賞歴を残しています・・・。
特に1995年の受賞は、英国ベーリューで開催されたアストンマーチン・オーナーズクラブのコンクールに出場したもので、DB2、DB2/4、DB Mk IIIなど、1949年から1959年にフェルサム工場で生み出されたアストンマーチンを対象とする「フェルサム・クラス」で第1位を獲得、翌1996年は2位を獲得し、その受賞を示すプレート「1st Feltham Class Beaulieu 1995」と「2nd Feltham Class Beaulieu 1996」のプラークが現在もダッシュボードに残されています・・・。
この時代に残された写真にもMGO 404を掲げた姿が確認でき、1950年代から使われてきた英国登録番号が、数十年後のLML/50/65を同じ一台として結び続けています・・・。
そして2000年・・・。
アストンマーチン・オーナーズクラブのレジスターには、この時期のオーナーとしてアメリカ在住のM.C.リー氏の名前が記録され、残されたヒストリー資料によれば、LML/50/65はアメリカ人コレクターの手を経て同年日本へ輸入されました・・・。
英国で生まれ、英国で歳月を重ね、アメリカへ渡り、20世紀最後の年に日本へ・・・。
日本の車検証に残された国内初度登録は2004年2月で、2000年の日本への輸入と2004年の国内登録という二つの記録が、この時期の歩みを残しています。
そして2005年5月19日から22日。
LML/50/65は再びヨーロッパへと運ばれ、イタリアのブレシアを起点とするミッレミリア・ストーリカへカーナンバー334として出場・・・。
その時残された資料には総合157位と記録され、当時の写真にはグリーンのボディにイエローのフロントグリルを組み合わせた、非常に印象的な姿が残されています・・・。
英国で走っていた1950年代のDB2が、半世紀以上を経て再びヨーロッパの公道を走っている・・・。
ファクトリーサービスレコードにロードテストの記載まで残る1953年のLML/50/65と、ミッレミリアを走る2005年のLML/50/65が、同じ時間軸の上でつながっていくのです・・・。
その後、アンドリュー・ノークス氏による著名書籍「アストンマーチン DB 70イヤーズ」にもこの「MGO 404」が登場します・・・。
アストンマーチン・ヘリテージ・トラストの協力によって制作された同書では、DB2を紹介する代表車としてMGO 404の外観写真が大きく掲載され、インテリア、さらにスペック紹介にも同じ車両が使用されています・・・。
DBシリーズ70年の歴史を紹介する書籍の中で、DB2という時代を象徴する一台としてページを飾ったことも、このLML/50/65が積み重ねてきた大切なヒストリーのひとつなのです・・・。
そして2015年6月5日。
LML/50/65の整備履歴には、今度はドイツで行われた大掛かりな作業記録が加わります・・・。
ドイツで発行された請求書には、車種アストンDB2、車台番号5065、走行表示12,340と明記されています。
エンジンからの異音を受けて両カムシャフトを脱着し、バルブクリアランス、タペットバケットを点検・・・。
タペットバケットとシリンダーヘッド側のガイドに摩耗が確認され、新しいシリンダーヘッド、タペットバケット、バルブ、カムシャフトを組み込み、さらにタイミングチェーンまで新品へ交換して組み直しと調整を行っています・・・。
同時にオルタネーターの充電量測定と配線修正、点火系とキャブレター調整、ショックアブソーバーへのオイル補充、エンジンオイルとフィルター交換、ステアリング、前後アクスル、ギアボックスなど各油脂類の点検、前後ブレーキとドラムの点検、右リアハンドブレーキ機構の修理、灯火類、ワイパー、ウォッシャーモーター、トランクロック、ハザードランプの新設、圧縮圧力とリークダウンの測定まで、車両全体へ手が入れられています・・・。
70年代、80年代を経て残った古いDB2を眺めるだけの整備ではなく、エンジン内部からブレーキ、電装まで実際に走らせるための作業が徹底して行われていることが、この2015年ドイツの整備記録から鮮明に伝わってきます・・・。
そして翌2016年、整備の舞台は再び日本へ移ります・・・。
4月7日受注、6月5日発行のコーギーズの請求書には、車体番号LML5065、走行12,389マイルと明記され、「輸入中古新規2年車検取得および改善」と記されています・・・。
日本の車検証には2004年2月の初度登録が残り、2016年の整備請求書にはこの「輸入中古新規」という記載が残る・・・。
この二つの記録をそのまま時系列に置きながら、2016年には灯火類、後写鏡を含む検査対応、4輪ブレーキのオーバーホール、左フロントホイールシリンダー交換、リアブレーキライニング張替、デフピニオンオイルシール交換、エンジンとタイミング調整、燃料ポンプ、電動ファンスイッチ、バッテリーを交換し、さらにミシュランX 185SR16を4本装着しています・・・。
その内容からも、日本へ来た後もLML/50/65が公道を走らせるクルマとして継続的に整えられてきたことが分かります・・・。
2017年1月7日受注、2月21日発行、走行12,382マイル。
この時は車高を約3センチ下げるため前後サスペンションを脱着し、25ミリローダウンスプリングへ交換、トーインを含む各部を調整・・・。
同時に吹け上がりの不調を受けてキャブレターを脱着してオーバーホールし、ブラスト仕上げ、エンジン調整、タイミング調整、走行テストを実施。
点灯不良だったフォグランプは配線を一部引き直して修理されています・・・。
さらに同年5月20日受注、6月17日発行。走行12,375マイル。
今度はクランクプーリーの破損とラジエーターからの水漏れ。
ラジエーターを脱着し、コアを製作してアッセンブリーを修理、各部をろう付け補強し、タンク類も点検・交換。
クランクプーリーは交換加工を行い、ファンベルト、クーラントももちろん交換・・・。
エンジンだけを直す、足回りだけを直すという整備ではなく、症状が出た箇所をその都度徹底して追い込みながら、ひとつずつコンディションを積み上げていく維持の仕方が、この時期の記録からよく分かります・・・。
そして2018年・・・。
この年の整備記録は、国内で行われた作業の中でも非常に大きな内容を持っています。
2月17日受注、6月30日発行、走行12,308マイル。
デファレンシャルから発生した異音を受けてリアアクスルを車体から降ろし、内部を分解して清掃。
デフピニオン・アッセンブリー、リングギヤ、各ベアリング、シール類を交換し、歯当たり、ピニオンハイト、バックラッシュを一つずつ調整。
さらにリアアクスルとスイングアームの車体側取付ブラケットに発生していた亀裂を加工・溶接修理し、デフカバーに開いていた穴も溶接修正して再塗装しています・・・。
リング&ピニオン、ベアリング、シール、ケース、ボルト類まで明細が一点ずつ残されており、70年近くを経過した駆動系を分解して再び正確に組み上げた記録が、現在まで詳細に残されています・・・。
同年5月11日受注、7月31日発行では24か月点検を受け継続車検を実施、走行12,332マイル。
エンジンオイル、ミッションオイル、ブレーキフルード、クーラントを交換し、前後ブレーキを清掃・調整。
1953年の英国ファクトリーサービスレコードに残されたブレーキ調整やオイル交換という作業が、65年を経過した2018年の日本の整備記録にも再び現れるのは当然のこと・・・。
その時代ごとに必要な手を入れられながら、LML/50/65という一台が英国、アメリカ、日本、そしてドイツを経て、現在へと時間をつないできたことを感じさせます・・・。
そして2023年6月23日。
アストンマーチン・ヘリテージ・トラストから、LML/50/65に対する車両遺産証明書が正式に発行されます・・・。
シャシーナンバーLML/50/65、エンジンナンバーLB6V/50/505、ギアボックスナンバーDBCC/50/311、ボディナンバー68037A、右ハンドル、英国仕向け、そして初代オーナー、ホン・マックス・エイトケン氏。
1951年の新車時ファクトリーレコードが、70年以上を経過した2023年に改めてひとつの証明書としてまとめられ、このクルマの出生へとつながったのです・・・。
概要として上記のヒストリーをまとめると・・・。
1951年の英国登録MGO 404。
1953年から残るファクトリーサービスレコード。
1955年、1960年のエンジン整備。
1994年のコイズ・ロンドン。
1995年のアストンマーチン・オーナーズクラブ・コンクール優勝。
その後アメリカ人コレクターの所有。
2000年、日本へ。
2004年、日本国内初度登録。
2005年、ミッレミリア・ストーリカ出場。
2015年、ドイツでのエンジンを中心とした大規模整備。
2016年から2018年、日本で積み重ねられた機関、ブレーキ、冷却系、サスペンション、デファレンシャルの整備。
そして2023年、アストンマーチン・ヘリテージ・トラストによる車両遺産証明書・・・。
その一つひとつが75年という時間の中でLML/50/65に積み重なり、写真、書類、整備記録、イベント参加記録、そして現在の車体へとつながっています・・・。
其の時間そのものが、この一台にしか語ることのできないヒストリーとなり、今後も年月を重ねるほどにさらに深い価値を与え続けているのです・・・。
第三章
英国、アメリカ、ドイツ、そして日本へ・・・。
惜しみなく手を入れながら守り継がれた1951年式アストンマーチン
DB2ヴァンテージに実際に乗ってみた・・・!筆者後書き・・・。
アンドリュー・ノークス氏の著書「Aston Martin DB: 70 Years」に掲載される英国登録番号MGO 404と、アストンマーチン・ヘリテイジ・トラストから確認できる、新車当時のカラーはボッティチェリ・ブルーと内装はグレー・コノリー・ヴォモル仕上げの組み合わせ・・・。
2005年のミッレミリア出走時にはすでにこのカラーになっていることは確認できますが、詳細にどの時点でこのフルレストレーションが行われたのかは定かではありません・・・。
それよりも重要なのは現在のこの車両のオーナーでおられる、日本国内でも著名なコレクターC氏が、この実にアストンマーチンらしいクラシカルなアーモンド・グリーンとキャメル・コノリー・レザーのセットアップを非常に気に入って大切に保存されておられることです・・・。
すでに四分の三世紀を経過した個体・・・。
しかもヒストリックなDB2ヴァンテージ・・・。
内外装に及ぶフルレストレーションが行われていて当然のことですが、ここに深い味わいが感じられるのがとても大切なこと・・・。
オリジナルを素晴らしく残しながら、後世に継承されるフル・レストレーションが行われたことに対して敬意を表したい程、それは・・・それは感動的なほど素晴らしいDB2ヴァンテージだったのです・・・。
C氏からは「普通にエンジン掛けて乗れるよ〜」とお声をいただきながらも、専属メカニック氏のサポートでエンジン始動・・・。
ツインSUキャブレターでマネージメントされたLB6V/50/505、ベントレー〜ラゴンダ由来の2,580cc直列6気筒DOHCヴァンテージ・エンジンは完全コールド状態からあっさりと目を覚まし、精密機械的なアイドリング状態に入ります・・・。
ダッシュボードの中央には前述した1995年英国ベーリューで開催されたアストンマーチン・オーナーズクラブのコンクールにおいて「フェルサム・クラス」で第1位を獲得した受賞を示すプレートがこのLML/50/65という個体のアイデンティティを素晴らしく示しており、クラシカルなスミス製計器類に間違いなく心が躍ります・・・!
テールエンドから聞こえるミッドレンジが図太くも優しいエキゾーストに聞き惚れながら、ゆっくり・・・、いやいや普通に走り出すと、それは感動的なほど現代の道路事情に普通に・・・、いやそれ以上にしっかりと重厚感がありながらも素晴らしくスムーズに・・・、そしてこのクルマがレーシングカー由来の特別なクルマであることを乗るものに明確に伝えながら、官能的な走りを見せてくれるのです・・・!
ここは是非興奮とドキドキでカメラがぶれながら・・・。必死で撮影した走行動画とともに是非ご堪能ください・・・!
取材後数日経過し、全ての情報を整理しながら今この原稿を書いている最中も、深い余韻と明確なヒストリーを持つ一台に覚えた興奮が蘇ります・・・。
1951年、英国で生まれたDB2ヴァンテージ。
サー・マックス・エイトケン氏の手に渡り、MGO 404という登録番号を与えられ、1953年からアストンマーチン自身のファクトリーサービスを受けながら英国の道路を走り、その後アメリカ、日本へと渡り、ミッレミリアの舞台を走り、ドイツ、そして日本で幾度となく手を入れられながら今日まで継承されてきた四分の三世紀という時間・・・。
その長い時間を物語るファクトリーレコード、写真、コンクール受賞プレート、イベント参加記録、整備記録が現在の車体とともに残り、さらにLB6V/50/505というエンジンナンバーをはじめとする出生時のアイデンティティまで現在の個体へとつながっていることに、このヒストリックカーが持つ本当の凄みを感じます・・・。
実際に乗ってみて75年前の最先端技術は、現在でも驚くほど生々しさがありました・・・。
流麗なアルミニウムボディのこの上無いほどの美しさ・・・、職人の手仕事が生み出した現代では二度と生まれない素晴らしい質感・・・、ツインカム直列6気筒ヴァンテージ・エンジンの力強さ・・・、そして重厚でありながらスムーズに速度を乗せていく見事な走り・・・。
目で観て美しく、資料を紐解けばさらに深く、実際に走らせればその本質が身体に直接伝わってくる・・・。
これこそが、長い年月を正しく継承されてきたヒストリックカーを手元に置く、唯一無二の醍醐味なのでしょう・・・。
英国撃墜王サー・マックス・エイトケン氏が1951年に手にした一台が、四分の三世紀後の日本で今もエンジンを目覚めさせ、見事に走り抜ける・・・。
その事実を知り、そのヒストリーに深く触れ、そして実際にステアリングを握ることができた今回の取材は、私自身にとっても強く心に残るものとなりました・・・。
LML/50/65が次のオーナーへと継承されたその先にも、また新しい時間と素晴らしい歴史が刻まれていくことでしょう・・・。
その一頁が加わるたびに、この1951年式アストンマーチンDB2ヴァンテージという一台のヒストリーは、さらに深く・・・、さらに豊潤なものへと昇華していくのです・・・。
英国撃墜王が愛したDB2ヴァンテージが日本に存在した・・・!
オールマッチング確認済み、1950年代当時のファクトリーサービス
レコードまで付属する、ヒストリーが明確な1951年式アストンマーチン
DB2ヴァンテージは迫力満載のオーラで観るものを圧倒する・・・!
素晴らしいヒストリーに直接触れる実車見学をご希望であれば、是非日本の大阪府までお越しください・・・。
個人間売買のため、消費税や諸費用等はかかりません。
本車両購入に際して自動車税の月割精算(年額¥58,600)並びにリサイクル預託金精算(未預託につき¥0)はご購入者様にてご負担いただきます。
また陸送等は同様に購入者様の方でご手配をお願いいたしますが、弊社にても全天候型完全箱型フラットローダー車所有にてご要望にお応えしております。
ご希望がありましたら是非ご相談ください・・・。
【お問い合わせに際して・・・】
このページの車両はクラシックカー・コレクタブルカーの越境ECサイト「エステートセール・スプレマシー®︎」に掲載されたものです。
至高・最高(スプレマシー)なエステートセール・・・とは。
エステートセール・スプレマシー®︎は、オーナー様の想いのこもったお車を、インタビューに基づく原稿と動画でご紹介する北米文化エステートセールの日本版です。
現オーナー様の想いを実直に表現、思い出は心にしっかり残しながらも、確実に次の世代に引き継ぐご案内から販売仲介対応をいたします。
過去の整備記録や修理歴など含めて現オーナー様から詳細ヒアリングを実施、事故歴の有無含めて取材しております。大きな事故歴があった場合、また現オーナー様の所有歴が極端に短く詳細がわからない場合は取材をお断りし、購入されるお客様に可能な限り安心をお届けする工夫を実施しております。
本記事内容は、2026年7月14日晴天下10時より、約3時間の取材時間の中で、オーナー様インタビューしたものを元に執筆作成したものです。かぎられた時間での確認につき、現車の状態を100%正確に記載しているとは限らない場合があります。また執筆内容に関しても全て裏づけを取ったものでは無く状態等のコメントも、あくまで取材時の天候状況及び筆者の主観によるものという事ご承知おき下さい。
掲載車両に関してのご質問や現車確認のお申込はこのページの一番下よりご連絡下さい。なお個人間での取引となりますので、冷やかし防止のため、現車確認はあくまで「購入を前提」として検討されているお客様のみとさせて頂きます。
何卒宜しくご検討下さい。















































































