トップ>ストックリスト>1995年式 ポルシェ550スパイダー by ベック“Little Bastard” ジェームズ・ディーン トリビュート
1995年式
ポルシェ550スパイダー by ベック
“Little Bastard” ジェームズ・ディーン トリビュート
↑↑↑上記アーカイブ動画、是非音声ありでご覧ください・・・。
ありったけの夢と情熱で、ジェームズ・ディーンが愛した
“Little Bastard”を完全再現したエンスージアストが
存在した・・・!
各部のディテールまで本物そっくり・・・!
1995年式 ポルシェ550スパイダー by ベック “Little Bastard”
ジェームズ・ディーン トリビュートは、夢とロマンを乗せて
最高の走りをする一台だった・・・!
第一章
24年の生涯、わずか3本の主演映画、そして“Little Bastard”と過ごした
わずか9日間の日々・・・。ジェームズ・ディーンが駆け抜けた、
あまりにも豊潤な青春の日々・・・。
1955年のアメリカ・・・。
第二次世界大戦の終結から10年を迎えたアメリカは、かつてない経済的繁栄を謳歌し、デトロイトを中心とした自動車産業も黄金期を迎えていました・・・。
アメリカがさらに豊かな未来を夢見た時代・・・。
それは、航空技術の飛躍的な進歩とともに、空への憧れが人々の暮らしや自動車のデザインにまで広がった、いわゆる「ジェット・エイジ」を工業デザインへと大きく反映し、ジェット戦闘機を思わせる大胆なテールフィン・・・、巨大なクロームメッキのバンパー・・・、色鮮やかなツートーンカラー・・・、そして力強いV8エンジン・・・。
この時代のアメリカ車は、豊かさと自由・・・、そして科学技術が切り開く明るい未来への憧れを、見事に映し出しています・・・。
誰もが明日への希望を抱き、これからもっと豊かになると明るい未来を夢見た時代・・・。
新しいロックン・ロールがジュークボックスを震わせ、若者たちはファッションや音楽、そして人々の最も身近な存在であった自動車を通じて、それまでの価値観にとらわれない、まさに自由で個性的な若者文化が生まれようとしていた時代でした・・・。
そんな1950年代のアメリカに、一人の若き俳優が登場します・・・。
その俳優の名は、James Byron Dean(ジェームズ・バイロン・ディーン)・・・。
1931年2月8日、インディアナ州マリオンに生まれた彼は、幼い頃に母親を亡くし、叔父夫婦のもとで育てられました・・・。
やがて俳優を志し、ニューヨークで舞台やテレビでの下積み生活を重ねながら演技を学び、1955年、エリア・カザン監督の『エデンの東』で一躍脚光を浴びることになります・・・。
その後、『理由なき反抗』、そして遺作となった『ジャイアンツ』へと続く、わずか3本のみの主演映画・・・。
驚くべきことに、彼が生きている間に劇場公開されたのは『エデンの東』だけであり、残る2作品は彼の死後に公開された遺作となったのでした・・・。
無造作な髪、白いTシャツにジーンズ、時には赤いジャケットをまとい、どこか憂いを帯びた眼差しを見せる青年・・・。
既成の価値観に反発しながらも、心の奥底では人の愛情を求めているその姿・・・。
彼が表現した“自由への憧れや反骨精神”は、それまでのハリウッドスターとは明らかに異なる存在感を放ち、ジェームズ・ディーンは、当時の若者たちの心を瞬く間に捉えたのです・・・。
しかし、そんな彼には、映画スターとしての華やかな姿とは別に、もうひとつの顔がありました・・・。
それは、スピードそのものを愛し・・・、そしてそれを表現するスポーツカーを心から愛し、自らステアリングを握ってレースに挑む一人のレーシング・ドライバーとしての顔でした・・・。
1955年2月、ディーンは念願のポルシェ356スーパー・スピードスターを手に入れます・・・。
当時のアメリカでは、大排気量のV8を搭載する大型車が圧倒的な存在感を誇っていましたが、彼が選んだのは、戦後欧州から入ってきたもう一つの自動車文化、ドイツ生まれの小柄な空冷スポーツカーでした・・・。
軽量なボディと優れた操縦性を持ち、ドライバーの技量によって速く走らせることのできるポルシェ・・・。
その魅力に惹かれた彼は、このポルシェ356スーパー・スピードスターを手に入れただけでは満足しませんでした・・・。
同年3月、カリフォルニア州パームスプリングスで開催されたカリフォルニア・スポーツカー・クラブ開催のロードレースに初参戦・・・。
なんと初日の予選レースで優勝し、翌日の決勝でも総合2位という好成績を収めたのです・・・。
さらに5月のベーカーズ・フィールドで行われたSCCA主催のスポーツカーレースでも予選レースで総合3位・FPクラス優勝を記録するなど、レーシング・ドライバーとしての才能を見せ始めていたのです・・・。
一方、映画会社のワーナー・ブラザースは、撮影中の事故を防ぐため、彼のレース活動を契約上で厳しく制限していました・・・。
映画スターとして成功を収めるほど、自由にレースへ参加することが難しくなる・・・。
そんな皮肉な状況に置かれながらも、ディーンのモータースポーツに対する情熱が冷めることは決して無かったのです・・・。
そして3作目の『ジャイアンツ』の撮影が終わりに近づいた1955年9月のこと・・・。
彼は、ついに憧れの一台を手に入れることになります・・・。
それが1955年式 ポルシェ550スパイダー・・・、シャーシ#550-0055・・・エンジン番号P90059を持つ個体・・・。
1955年7月15日・・・。
ドイツのツッフェンハウゼン工場で完成したこの一台は、ロイトリンゲンに拠点を置く名門コーチビルダー、ヴェントラー(Wendler Karosserie)が手掛けた流麗なアルミニウム製ボディに、シルバーの塗装・・・、鮮やかなレッドインテリア・・・、そしてまさに生粋のレーシングカー仕様として、ル・マンなどでの耐久レースでの車両識別を目的とした、ゴールドの細い縁取りを持つ赤いストライプがリアフェンダーに施された・・・(!)車両重量わずか550kgの超軽量スポーツカーで、その成り立ちは、それまでディーンが愛用していたポルシェ356とは大きく異なるもの・・・。
このシルバーのポルシェ550スパイダーは、当時最大のマーケットであった北米輸出用として大西洋を越えてアメリカへと渡り、カリフォルニア州ハリウッドのポルシェ正規販売店「Competition Motors(コンペティション・モーターズ)」に届けられたのです・・・。
1955年9月18日・・・。
親友でありポルシェ仲間でもあったリュー・ブラッカーは、このハリウッドのポルシェ販売店、コンペティション・モーターズで一台の銀色の550スパイダーを偶然見かけます・・・。
その事を興奮してディーンに伝えると、彼はわずか3日後の9月21日・・・。
ジェームズ・ディーンは、それまで愛用していたポルシェ356スーパー・スピードスターを下取りに出し、追加3,000ドルを支払って、憧れであったこの550スパイダーを手に入れたのです・・・!
1953年に登場したポルシェ550スパイダーは、ル・マン24時間レースやカレラ・パナメリカーナなど、世界の名だたるレースで活躍した本格的なレーシングスポーツカーでした・・・。
工場出荷時からすでにリアフェンダーに、約2mm幅の繊細なゴールドの縁取りを伴う、鮮やかな赤、青、緑、黄色などのストライプを施していたのは、ナショナルカラーのシルバー同色の車体を遠くから識別できるようにしていたため・・・。
低く流麗なアルミニウム製ボディに、550kgと超軽量な車体構造・・・。
そしてドライバーの背後には、4本のカムシャフトを持つタイプ547、1,498cc空冷水平対向4気筒エンジンが搭載されていた生粋のレーシングカー・・・。
わずか約550kgの軽量な車体に、最高出力約110馬力。
最高速度は220km/hを超えるという、当時としては驚異的な性能を誇っていたのです・・・。
購入した日に乗って帰れるのは今も昔もアメリカの自動車文化がいかに生活に根付いているかを表す面白いところ・・・。
1955年9月21日、3000ドルの追い金を払って新しいポルシェ550に乗り出したジェームス・ディーンは、真っ先にリュー・ブラッカーの自宅へ新しい愛車を見せに行ったエピソードが残っています・・・。
なんとも微笑ましい、今も昔も変わらない、クルマ好きらしいエピソードではありませんか・・・!
この頃、二人はお互いのポルシェ356に乗ってロサンゼルス郊外のワインディングを走り、将来は自分たちで「ジェームス・ディーン・モータース」というポルシェの専門店を開くことまで夢見ていたそうです・・・!
これほどまでに、ポルシェというスポーツカーに魅了されていたジェームス・ディーン・・・。
1955年9月21日に手に入れたポルシェ550スパイダー、シャシー番号550-0055、シルバーのボディに、レッドのインテリア・・・、そしてリアフェンダーに識別用の赤いストライプをまとった一台を、メーカーから納車された姿のまま乗るつもりは全く無かった様子です・・・。
1955年9月26日・・・
ディーンは自らポルシェ550スパイダーを運転し、ロサンゼルス郊外リンウッドに工房を構えていた著名なピン・ストライパー、ディーン・ジェフリーズを訪ね、自分だけの特別なレーシングカーへと仕立てていったのです・・・。
フロントフード、左右のドア、そしてリアカウルには、大きな黒いレーシングナンバーが描かれました・・・。
そこで描かれたナンバーが「130」・・・。
実はこの数字、親友リュー・ブラッカーと二人で本来希望していたレーシングナンバーは「13」・・・。
しかし、当時のレース主催団体は、不吉とされる13番の使用を認めなかったため、ディーンは130番、ブラッカーは113番を選んだのです・・・。
そこで、ディーンはリアカウルに、もうひとつの文字を書き入れることを望みました。
「Little Bastard」この名前こそ、今回のストーリーを改めてご紹介する上で、非常に重要な意味を持っています・・・。
英語の「Bastard」は、もともとはスラング・・・。
相手を侮辱する際にも使われる、決して上品とはいえない言葉ですが、親しい間柄では、相手をからかったり、「小生意気なやつ」といった意味合いで使われることも・・・。
ジェームス・ディーンと親しかった、後にスティーブ・マックイーン主演の『ブリット』で、ダッジ・チャージャーを操る伝説的なカーチェイスを演じたハリウッドのスタント・ドライバー、ビル・ヒックマンとの友情にまつわるストーリーから読み取れるもので、ヒックマンはディーンを「Little Bastard」と呼び、ディーンはヒックマンを「Big Bastard」と冗談まじりに呼び返していたとの微笑ましいエピソードが・・・。
そしてもうひとつの由来は、最近のリサーチでわかった事ですが、これはさらにジェームズ・ディーンらしい反骨精神を感じさせるエピソードです・・・。
映画『エデンの東』の撮影を終えた後、ディーンはワーナー・ブラザースの撮影所内に用意されていたトレーラーハウスを、なかなか明け渡そうとしませんでした・・・。
これに業を煮やした映画会社のワーナー・ブラザース経営者ジャック・ワーナー氏が、彼を「Little Bastard」と呼んだというのです・・・。
ディーンは、その言葉を耳にしたと伝えられています・・・。
そして「自分を小生意気なやつと呼ぶのなら、むしろその名前を自分のレーシングカーに付けてやろうではないか・・・!」と・・・。
そこには、映画会社からレース活動を制限されていた彼なりの、痛快な反抗心が込められていたのではないでしょうか・・・。
そうです・・・。「Little Bastard」とは、もともとジェームズ・ディーン自身を指す呼び名だったのです・・・!
この「Little Bastard」という名前を、あえて愛する550スパイダーにも与えたジェームス・ディーン・・・。
実際にこの車体へ文字描いたピン・ストライパー、ディーン・ジェフリーズは、後年、この日の作業について詳しく証言しています・・・。
その内容は、レーシングナンバー130は、正式な競技番号がまだ確定していなかったため、洗い落とすことのできる黒い塗料で描いたのですが、「Little Bastard」の文字には、One・Shotという耐久性のある艶のある黒いエナメル塗料を使用したというのです・・・。
レーシングナンバーは一時的なものとして描かれましたが、「Little Bastard」という名前は、車体に残ることを前提に描かれていた事実・・・。
ジェフリーズは、その文字が完成したとき、ディーン本人も大変気に入っていたと回想しています。
自分に向けられた少々乱暴な言葉を、逆に自分だけのレーシングカーの名前にしてしまう・・・。
そこには、映画の中だけではない、本物のジェームズ・ディーンの反骨精神と遊び心が表れているように思えます・・・。
こうして、このシルバーの小さなレーシングカーは、ジェームズ・ディーンだけの特別な一台へと姿を変えていきました・・・。
そして彼は、この「Little Bastard」で、1955年10月1日から開催されるSCCA主催サリナス・ロードレースに参戦する予定でした・・・。
これまでのポルシェ356とはまったく異なる、本格的なミッドシップ・レーシングカー・・・。
映画「ジャイアンツ」の撮影を終え、トレーラーハウスからも解放され、ようやくレースへ復帰できる・・・。
しかも、ずっと憧れていた550スパイダーのステアリングを握って初めての実践投入・・・。
彼にとって、それはレーシング・ドライバーとしての新しい挑戦が始まる、特別な瞬間だったはずです・・・。
しかし、残念ながら・・・、その日は訪れませんでした・・・。
1955年9月30日、金曜日・・・。
ジェームス・ディーンはサリナスのレースへ参加するため、ハリウッドを出発します・・・。
助手席には、ポルシェのメカニックであり友人でもあったロルフ・ヴューテリッヒ・・・。
後方からは、親友の“Big Bastard”ビル・ヒックマンらが、トレーラーを牽引したフォードのステーションワゴンで同行していました・・・。
本来なら550スパイダーをトレーラーに載せて運ぶこともできましたが、まだ新しいエンジンの慣らし運転と、車の特性に慣れるため、ディーンは自らステアリングを握ってサリナスへ向かうことを選んだのです・・・。
映画スターとしてではなく、一人のレーシング・ドライバーとして迎える週末・・・。
“Little Bastard”と自分だけの名前を与えた新しいレーシングカー・・・。
そして、これから始まるレースへの期待・・・。
その日、彼がどれほどの歓びを感じていたかは、想像に難くありません・・・。
しかし、同日1955年9月30日の夕刻・・・。
カリフォルニア州チョラメ付近を走行中、550スパイダーは交差点で左折してきたフォード車と衝突・・・。ジェームズ・ディーンは、わずか24歳でその生涯を閉じたのです・・・。
1955年9月21日に念願の550スパイダーを手に入れてから、わずか9日間・・・。
そして、彼が「Little Bastard」で挑むはずだった最初のレースは、ついに実現することがありませんでした・・・。
わずか24年の生涯・・・、そしてわずか3本の主演映画、そして“Little Bastard”と過ごしたわずか9日間の日々・・・。
ジェームズ・ディーンが駆け抜けたのは、あまりにも豊潤な青春の日々・・・。
彼の残した3作品はいずれも映画史に名を残し、わずか9日間しか所有されなかった一台のレーシングカーは、70年以上が過ぎた現在でも、世界中のエンスージアストを魅了し続けているのです・・・。
何を目指して何を残したのか・・・。
人生の価値とは、決して生きた年月の長さだけでは計れるものではないのでしょう・・・。
だからこそ、青春の群像「ジェームズ・ディーン」という存在は、単なる悲劇の映画スターとしてではなく、今も多くの人々の心の中で生き続けているのでしょう・・・。
第二章
半世紀を超えて受け継がれた憧れ・・・。
ジェームズ・ディーンを敬愛した一人のエンスージアストが、ありったけの
夢と情熱で再現した“Little Bastard”・・・!
ジェームズ・ディーンが24歳の若さでこの世を去ってから、すでに70年以上の歳月が流れました・・・。
わずか3本の主演映画と、人生の最期に手に入れたポルシェ550スパイダー・・・。
この短くも鮮烈な人生に魅了された人々は世界中に存在し、彼が残した映画や写真、そしてあの銀色のレーシングカーは、今も多くのエンスージアストの心を捉え続けています・・・。
そして、ここ日本にも、ジェームズ・ディーンという一人の青年に並々ならぬ憧れと敬意を抱き、彼が最後に愛した「Little Bastard」を自らの手元に再現しようとした、一人のエンスージアストが存在しました・・・。
今回ご紹介する1995年式ポルシェ550スパイダー byベックは、その人物がありったけの情熱で再現し後世に確かに残した、実に興味深い一台なのです・・・。
今回、この車両をご紹介する機会をいただき、当時の写真や資料を深く読み解き、改めて細部まで確認しながらリサーチを進めると、どれほど熱心にジェームズ・ディーンの550スパイダーを研究していたのか、その情熱が随所に表れていることに驚かされ、心からワクワクした次第です・・・。
この生粋のレーシングカーであるポルシェ550を再現した米国BECK製 550 スパイダーとは、アメリカのエンスージアストであり、自らレーシングカーの製作にも携わっていたチャック・ベック氏が、1950年代のポルシェ550スパイダーを現代に再現することを目的に開発したスポーツカーです・・・。
1980年代初頭から製作が始まったBECK 550は、オリジナル550の低く美しいボディラインを忠実に再現しながら、専用の鋼管フレームと軽量なFRPボディを組み合わせ、フォルクスワーゲン製の空冷水平対向4気筒エンジンを本車同様ミッドシップに搭載することで、本格的なスポーツカーとしての性能と、比較的容易な整備性を両立・・・。
オリジナルであるポルシェ550が高度な4カムエンジンを搭載する純粋なレーシングカーだったのに対し、BECKはそのスタイリングと軽快な走行性能を、実際に公道で楽しめるスポーツカーとして再現したのです・・・。
今回の個体は1995年7月に日本で初度登録された車台番号550000468・・・。
全長3,750mm、全幅1,600mm、全高わずか1,020mm、車両重量650kgという、現代のスポーツカーと比較しても驚くほど軽量でコンパクトな車体に、約1,910ccのVW系空冷水平対向4気筒エンジンを搭載した非常に魅力的なスポーツカーです・・・。
さて、この車を実際に目の前にすると、まず驚かされるのが、1955年のジェームズ・ディーンの550スパイダーを彷彿とさせる、その実に美しいスタイリングです・・・。
低く流れるようなドイツ・ナショナルカラーであるシルバーのボディ・・・、鮮やかなレッドインテリア・・・、リアフェンダーを走る識別用赤いストライプ・・・、そしてフロントフード、左右のドア、リアエンジンカウルに、ジェームス・ディーンの依頼でディーン・ジェフリーズが描いたのと同じフォントで大きく描かれたレーシングナンバー「130」・・・。
これは単に「130」という数字を貼り付けているのではなく、当時のディーン・ジェフリーズが手掛けた独特の書体を模し、その大きさや配置まで1955年当時の写真を意識して再現しているのがまず見事な部分です・・・。
これらの詳細なオマージュは、細部まで素晴らしく散らばめられているのがこの個体の特徴・・・。
左右の大きなヘッドライトの下に配置された小さな丸いウインカーレンズがまず目を引くところ・・・。
一般的な1990年代のBECK 550に多く見られる丸いオレンジのレンズとは異なり、オリジナル550を思わせる小ぶりなクリアレンズに変更されているのです・・・。
クロームの縁取りを持つ独特の形状と、その取付位置まで含めて、1955年式ジェームス・ディーンの愛機の姿を強く意識した仕上がりを見せています・・・。
そしてフロント先端の中央下部に組み込まれた、金属製のカバーと冷却グリル・・・。
特にこのフロント先端の造形は、通常のBECK 550との違いをよく表している部分です・・・。
ジェームス・ディーンの愛機、オリジナルのポルシェ550スパイダーでは、フロントに配置されたオイルクーラーへ走行風を導くため、特徴的な冷却用グリルが設けられていました・・・。
今回の車両には、そのオリジナル550の形状を意識したアルミ製のカバーが取り付けられ、縦方向の細かな開口部まで見事に再現されています・・・。
さらに、低く湾曲したフロントのレーシングスクリーンにも是非注目してください・・・。
この車両は一般的なフルウインドスクリーンではなく、1950年代のポルシェ550を再現した低いレーシングスクリーンを装着・・・。
車検用としてオリジナルのウインドスクリーンが別途付属していますが、この仕様にまで仕上がっているのが嬉しいところです・・・。
また、運転席側フロントフェンダー上には、流線形の小さなレーシングミラーが、ジェームス・ディーン愛機同様に取り付けられています・・・。
低いウインドスクリーンと小ぶりなミラーは、車体全体の美しいプロポーションを損なうことがなく、フロントフェンダーからリアカウルへと続く、550スパイダー独特の流麗なボディラインを一層際立たせているのが見事な部分です・・・。
そして、ボディを側面から眺めると、さらに興味深いディテールが現れます・・・。
フロントフェンダーの後方「Spyder」のエンブレムの下には、緑、黒、クリーム色を組み合わせた、独特な形状の七宝焼きエンブレムが両サイドに取り付けられているのですが、これは「NÜRBURGRING」・・・。ドイツを代表する名門サーキット、ニュルブルクリンクのバッジです・・・。
この配置も実はジェームス・ディーンが愛したポルシェ550と全く同様・・・。
実は、この小さな七宝焼きエンブレムには、ジェームズ・ディーンと、彼の550スパイダーを整備していたドイツ人メカニック、ロルフ・ヴューテリッヒとの友情にまつわる、非常に興味深いエピソードが残されている物なのです・・・。
ロルフ・ヴューテリッヒはポルシェのレーシングカーに精通したメカニックで、ジェームズ・ディーンが550スパイダーを購入した際、まさにその整備を担当していた人物でした・・・。
彼は1954年、ニュルブルクリンク1000kmレースに携わった際に、この記念バッジを入手していたと伝えられており、1955年9月30日、サリナスのレースへ向けて出発する直前、ディーンとの友情の証として、自らの大切にしていたニュルブルクリンクのバッジを550スパイダーの左側面に取り付けたというのです・・・。
第1章でご紹介した、最後のドライブにも同行したメカニックとディーンの間には、こんなエピソードも残されていたのです・・・!
今回のBECKには、そのニュルブルクリンクのバッジが、ジェームス・ディーン愛機と全く同じ位置に取り付けられています・・・。
これほど小さな装飾品でありながら、その背景には1950年代のモータースポーツと、二人の友情の物語が存在するのです・・・。
そして、そのニュルブルクリンクのバッジのさらに下には、小さな涙滴形の金属製プレートが取り付けられています・・・。
よく見ると、そこには「Wendler Karosserie」の文字が刻まれています・・・。
これは第一章にも登場した、ドイツ・ロイトリンゲンの名門コーチビルダー、ヴェントラーの銘板です・・・。
1950年代のポルシェ550スパイダーは、ポルシェの設計によるシャシーやエンジンに、ヴェントラーが手掛けたアルミニウム製ボディを組み合わせて製作されていました・・・。
当時の熟練した職人たちが、アルミニウムの板材を成形し、複雑な曲面を作り上げていく製作工程は、現在の大量生産車とはまったく異なるものだったのですが、オリジナル550に取り付けられていたヴェントラーの銘板は、そうしたコーチビルダーの誇りを示すものでもあったのです・・・。
さらに、ドアの後方には1950年代のモータースポーツを連想させるCastrolの小さなステッカーも実車同様に貼られているのです・・・。
続いてリアフェンダーを見てみましょう・・・。
シルバーのボディを前方から後方へと流れるサーキット識別用の鮮やかな赤いストライプは、ジェームズ・ディーンの550スパイダーを象徴する特徴のひとつです・・・。
第一章でも触れたように、オリジナル550では耐久レースに出場する複数台のシルバーの車体を識別する目的で、赤、青、緑、黄色などのストライプが使われていましたが、シャシー#550-0055には、製造時から赤いストライプが施されていたのを見事に再現しています・・・。
リアカウルに目を向けると、さらに驚くほどの再現が施されています。中央には大きく描かれたレーシングナンバー130・・・。その下には左右に分かれた金属製のエンジングリルがあり、その上には黒地に黄色い文字の1955年当時に使われていたカリフォルニア・ナンバープレートが取り付けられています・・・。
その番号は「2Z77767」。これは、1955年にジェームズ・ディーンが所有していたポルシェ550スパイダー、シャシー#550-0055の実際の登録番号です・・・。
しかも今回の車両では、番号だけでなく、当時のカリフォルニア・ナンバープレートの配色、1955年の税金支払を表す55という数字・・・、そしてリアエンジングリル上の取付位置まで見事に特注で米国に発注し再現されています・・・。
そしてリアカウルの下方には、ポルシェのクレスト、ゴールドのPORSCHEエンブレム、さらにその下には、今回の車の名前・・・、ジェームス・ディーンそのものの愛称である「Little Bastard」の文字が描かれています・・・。
このビンテージな筆記体による独特の書体は、1955年9月、ディーン・ジェフリーズがジェームズ・ディーンの依頼を受けて描いたレタリングを模したもの・・・。
まさにこれらの組み合わせによって、1955年のジェームズ・ディーンの愛車を象徴するリアビューが見事に表現されているのです・・・。
さらに、リアカウルの前端付近には、ジェームス・ディーン愛機同様、左右に革製のリアカウル固定ベルトが取り付けられています・・・。
今回の車両では、その位置や革の幅、金属製のバックルまでオリジナルの姿を意識した構成となっているのが見事な部分・・・。
そして、もちろんホイールにも注目していただきたいと思います・・・。
シルバーに塗装されたスチールホイールには、円周上に楕円形の通気孔が並び、中央には黒いハブ部分とホイールナットが露出しています・・・。
通常のクラシックカーであれば、ホイールキャップを取り付ける部分ですが、今回の車両は、あえてそのホイールキャップを取り外した姿となっているのが特徴・・・。
これもまさにジェームス・ディーン愛機と全く同じ仕様・・・。
センター部分を露出させたスチールホイールの表情には、当時のレーシングカーらしい力強さがあり、低いレーシングスクリーン、シルバーのスチールホイール、そして大きなレーシングナンバー130が実によく調和しています・・・。
さらに内装に至っては、シルバーのボディと鮮やかな対比を見せる真紅のバケットシートが、ジェームス・ディーンの愛機550-0055が持っていたレッドインテリアを強く意識したで、左右に並ぶ低いシート、シンプルなドア内張り、そしてドライバーを包み込むような狭いコックピット。ステアリングの前には大きな3連メーターが並び、中央にはVDO製のタコメーター、右側には200km/hまで目盛りが刻まれたスピードメーター、左側にはコンビネーションメーターが当時のポルシェ550の姿を見事にオマージュ内容になっているのです・・・。
そして、このコックピットで最も興味深いのが、アイボリー色のペトリ・タイプ大径ステアリングの存在でしょう・・・。
オリジナルのポルシェ550スパイダーには、ドイツのPETRI(ペトリ)社製ステアリングが採用されていました・・・。
細いアイボリー色のリムに、複数の金属棒を束ねた独特のスポーク構造を組み合わせたもので、1950年代のポルシェを象徴するデザインのひとつです・・・。
今回の車両に装着されているのは、このペトリ製ステアリングのレプリカタイプで、このディテールも、ジェームス・ディーン愛機と全く同じもの・・・。
そのステアリングの中央には、黒い背景にゴールドの女性の横顔を描いた、「Golden Lady(ゴールデンレディー)」と呼ばれる、1950年代のヴィンテージ・アクセサリーが装備されており、1950年代のヴィンテージ・アクセサリー文化を取り入れた時代考証も見事なもので、味わい深いアクセントにもなっています・・・。
このように各部を詳しく確認していくと、今回のBECK550スパイダーには、ジェームズ・ディーンの550-0055を直接再現した部分が非常に濃厚に再現されているのに加え、1950年代のレーシングカーを取り巻く文化そのものを表現しようとした車であることが見えてくるのです。
1950年代の映画に登場したジェームズ・ディーンの姿、既成の価値観にとらわれない自由な生き方、そして24歳という短い生涯の最後に、わずか9日間だけ所有することのできたポルシェ550
との濃厚なストーリー・・・。
その物語に強く心を動かされ、相当の情熱をかけて、あの「Little Bastard」を再現してみたいと考えられたことが実車を観て感じられること、そしてその努力に敬意を感じるのです・・・。
そして・・・。
今回の車両には、車検時に使用する通常のウインドスクリーンのほか、ブラックのトノカバー、着脱式の赤いヘッドレスト、関連する小型灯火類なども付属しています・・・。
トノカバーは、オープン状態のコックピットを覆うための装備であり、1950年代のレーシングスポーツカーにも通じる実用的なアクセサリーです・・・。
さらに、車検時に必須な赤いヘッドレストも車両の内装に合わせたものが用意され、レーシングスクリーンを備えた通常の姿を維持しながら、必要に応じて仕様を変更できるのも嬉しいところ・・・。こうした付属品まで残されていることも、現代においては、安心して実際に所有し、乗り、楽しむことができるようになっています・・・。
世の中には、ジェームス・ディーンが愛した550-0055を完全再現した精巧な1/8モデルなどが、この実車価格以上の高値で売られている事実もあります・・・。
その中で、このおそらくここまで精巧に仕立てられたトリビュート・モデルは無いと思われますが、この個体は単に美しく仕立てられた展示用のレプリカでは無く、実際に約1.9リッターの空冷水平対向4気筒エンジンを搭載し、650kgという軽量な車体を超絶魅力的に、走らせることのできるスポーツカーなのです・・・。
これはジェームズ・ディーンが求めていたものと全く同じ・・・。
単に美しいレーシングカーを所有することではなく、自らステアリングを握り、走る歓びを味わうこと・・・。
そこに本当の意味での敬意を払ったオマージュ・・・、そしてトリビュート・モデルとしての価値があることでしょう・・・。
第三章
実際に乗ってみたぞ・・・!1995年式 ポルシェ550スパイダー by ベック
“Little Bastard” ジェームズ・ディーン トリビュート、
筆者の取材後書き・・・。
ドアハンドルが無く、ドア内側に手を回してワイヤーケーブルを引き、ドララッチを回す、まさに1950年代レーシングカーへ乗り込む刺激的マナーから、この個体に乗り込む儀式は始まります・・・。
乗り込むのに少々慣れが必要なほど、低い着座位置・・・
しかし実際に座ってみると、スーパーセブンやロータス・ヨーロッパ並みに低いポジションから観る景色は、実に男心をくすぐるもので、乗り込んだ瞬間にワクワク感が始まるのは、1955年も今もきっと同じことだったでしょう・・・。
クラシック・ポルシェらしいオルガン式ABCペダルを、まっすぐ伸ばした足で操作し、細身のペトリタイプ・ステアリングを抱き抱えるように操作するのも1950年代レーシングカーのディメンジョンそのもの・・・。
よく整備されたデロルト製ツイン・ダウンドラフト・キャブレターの猛々しい吸気音をすぐ背中裏で聞きながら、ダイナミックに回るフラット4エンジンは、フォルクスワーゲン・タイプ1に載ったエンジンと同じとは、到底思えないほどダイナミックに、クラシックポルシェ特有のVDO製レブカウンターの針を激しく踊らせます・・・!
オリジナルのアルミ製ではなく、FRPで再現されたとはいえ、曲線が非常に美しく、実車同様にオマージュされたボディは、それでも乾燥重量650kgと、軽量級のスーパーセブンよりもさらに軽量であり、2L級のフラット4搭載で、この美しい個体を弾けるように前に進めます・・・!
時代考証も完璧・・・!
クラシックなパターンが非常に美しい、今や輸入しないと入手できない貴重なファイアストーン製デラックス・チャンピオン(チューブレス)の細身のタイヤと、オープンボディから聞こえてくるロードノイズが作り出す世界観は、まさに1955年当時そのもの・・・。
ここに偉大なトリビュートが完成し、乗るものを素晴らしい世界へ誘ってくれる・・・。
まさに「時間が溶ける・・・」思いを感じるのは決して筆者だけでは無いはずです・・・。
まさにこの唯一無二の一台は、短い人生を全力で駆け抜けたジェームス・ディーンの青春群像そのものを、新たなオーナー様のガレージの中の永遠に終わらない夢として与え続けてくれる一台でしょう・・・。
それにしても「よくここまでジェームス・ディーンの550-0055同様に作り込まれたなぁ・・・」と知れば知るほどに思う限り・・・。
ただ一つ・・・。
1955年9月21日・・・、まさに乗り出した直後、ジェームス・ディーンは街中で軽微な接触事故を起こし、その際、左運転席側のウインカーレンズが失われたのですが、直す時間がなく、数日後そのままサリナスへ向かっています・・・。
今日残された写真資料は、いずれもこのウインカーレンズが破損したままのもの・・・
流石にそこまでは再現されておられない様子です・・・。
ありったけの夢と情熱で、ジェームズ・ディーンが愛した
“Little Bastard”を完全再現したエンスージアストが存在した・・・!
各部のディテールまで本物そっくり・・・!1995年式 ポルシェ550
スパイダー by ベック “Little Bastard” ジェームズ・ディーン トリビュート
は、夢とロマンを乗せて最高の走りをする一台だった・・・!
是非、ロマン溢れる究極の見学に、愛知県名古屋市までお越しください・・・。
この大変素晴らしい「1995年式 ポルシェ550スパイダー by ベック“Little Bastard” ジェームズ・ディーン トリビュート」は現在、愛知県にあります。
個人間売買のため、消費税や諸費用等はかかりません。
本車両購入に際しては自動車税の月割り精算(年額¥45,400)並びにリサイクル預託金精算(¥9,880)は、ご購入者様にてご負担いただきます。
また陸送は購入者様の方でご手配をお願いいたしますが、ご希望がありましたら是非ご相談ください。距離に応じてお見積り作製し、弊社自社所有の3tフラットローダー積載車でお届けさせていただくこともできます。
【お問い合わせに際して・・・】
このページの車両はクラシックカー・コレクタブルカーの越境ECサイト「エステートセール・スプレマシー®︎」に掲載されたものです。
エステートセール・スプレマシー®︎は、オーナー様の想いのこもったお車を、インタビューに基づく原稿と動画でご紹介する北米文化エステートセールの日本版です。
現オーナー様の想いを実直に表現、思い出は心にしっかり残しながらも、確実に次の世代に引き継ぐご案内から、安全な販売仲介対応をいたします。
本記事内容は、2026年10月4日11時より、曇天下約3時間の取材時間の中で、オーナー様へのインタビューしたものを元に執筆作成したものです。かぎられた時間での確認につき現車の状態を100%正確に記載しているとは限らない場合があります、また執筆内容に関しても全て裏づけを取ったものではありません。 状態等のコメントも、あくまで取材時の天候・状況及び筆者の主観によるものという事ご承知おき下さい。
掲載車両に関してのご質問や現車確認のお申込はこのページの一番下よりご連絡下さい。なお個人間での取引となりますので、冷やかし防止のため、現車確認はあくまで「購入を前提」として検討されているお客様のみとさせて頂きます。
何卒宜しくご検討下さい。















































































